僕は涼子P(森園)を研究しているジェーソンです。 (107)

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68 グナマーナ正大師 2015/09/21(月) 18:23:32 ID:N5M7Xfns

>>41-50辺り「揺れ」と同一人物のモデルに関しまして

「揺れ」に関して、僕の認識が甘かったです。
当職は、私はMMD技術に弱芋なので認識の甘さ憂いております。
いや勉強になる反論をありがとうございます。

皆様の言説を読ませて頂いた上でのこの2つに対する僕の考えは

「MMDとしては許されるが、一つの映像作品としてはどうなのか」

という物です。

ただしこの考えは「ドラマ作品」に対する場合です。
ダンス作品に関していえば揺れが有ろうが同一人物のモデルが出ようが、「ダンスを見せる」ということが目的であり、キャラの心理・内面はどうでもいい物なのでそれほど気にならないと思います。
尊師MMDの作品においても、ダンス作品でチンフェとウンフェの競演はありますし、
(ただ物語仕立ての作品でこの両者を別人と扱っているのはあまり知りません)
揺れは動画の性質上ほぼ全編アクションをしているので揺れていようが誰も気にしないかと思います。

では、ドラマ作品における僕の考えを述べます。

「MMD」というくくりであれば、揺れや同一人物の問題は慣習として「そういうものだ」と受け入れられるでしょう。
特撮でいう「お約束」と一緒で、そこに突っ込むのは野暮かもしれません。

しかし、「一つの映像作品」として見た場合、違和感を感じないでしょうか。

既存の映像作品では、涼子Pのような不自然な揺れ・似たような人間がいっぱい出てくる(演出の場合を除く)という作品はほとんどありません。
なぜなら違和感があるからです。
(余談ですが揺れに関して、僕は最初風が吹いているのかな?と思いましたが室内でも揺れているのを見て違うと確信しました)
そして「MMDの作品」は「映像作品」の中の一つです。
一つの映像作品を作る意識でやらないと、結局「MMDの作品」でしかなく「映像作品」にはならないのではないでしょうか。
事実、MMDでも人気動画においてこのような違和感を感じる作品はありません。
なぜならそういう作品は、「映像作品」にすることを意識して、細部までこだわっているからです。
一流の作者の方々にとってあくまでMMDはツールであり、最終目標は別にあるのです。
涼子Pの作品からは、「MMDで好きなように遊ぶ」ということしか感じられず、「面白い映像を作る」ということは感じられませんでした。
ツールをいじっているだけで悦になっているといってもいいでしょう。
普通の人は5年も続けていたら欲が出て来て、ただツールをいじるだけでは収まらないのですが涼子Pは違うようです。
ある意味純粋であるといえます。

また「揺れ」を直すことは、野球でいうとキャッチボールのやり方を覚えるのと同じように、普通は違和感がありなんとか直したいと感じるものだと思います。
キャッチボールも知らないで野球をやる人はいません。そのぐらい当たり前のことだと思います。
勉強と同じように面倒でも必要なことなら人間は誰しもやると思うのですが、涼子Pは面倒なことは必要でもやらないという思考の持ち主なのでしょう。

別に彼が低いレベルで満足しているのならそれで構わないです。
ただ、彼はセンスが無いのだからそういう違和感を処理する努力をしないと、他の人には並べないと断言出来ます。