1 がん患者さん 2016/07/02(土) 20:40:18.85 ID:rNWyKdWf0
時は平安、兆堂院の正門・恒天門に対する爆破予告と瓦の盗難が行われるという事件が起きた。
時の左大臣・森公高が爆破予告に関連したとする大納言・藤原太一の追及に対し太政大臣・矢尾渉が疑念を抱き、事件関係者の取調べを開始した。
すると先だって検非違使に捕縛されていた爆破予告と盗難の実行犯、安藤良太が自身は藤原大納言の従者であり、一連の行為は彼の指示によるものであると暴露。森左大臣の嫌疑は晴れ藤原大納言とその一味は追放刑に処され、無事死亡した。
後に大納言・唐澤洋の子で中納言の唐澤貴洋は事件に前後して自身の屋敷近辺で藤原大納言の従者が頻繁に目撃されており、且つ森左大臣が事件の黒幕であるという説に賛同しており為に共犯の嫌疑がかけられる。捜査の結果、唐澤中納言の屋敷より恒天門より盗難された瓦の一部と爆破予告文の写しが発見され、中納言は追放刑に処された。
なお、この事件により唐澤洋は右大臣にはなれないもよう。
『恒天門の変』
2 がん患者さん 2016/07/02(土) 20:59:00.32 ID:ynVFwfkOI
一英、唐澤洋を立てて後釜と為す。是れを出龍と為す。死を弔ひ財を問ひ、辞を低くし幣を厚くして、以って愚物を産む。貴洋に問ひて曰はく、 「森は会計士の舎の乱るるに因りて、襲ひて唐澤を破る。孤極めて唐澤の小にして以って報ずるに足らざるを知る。嗚呼、何ぞ破可出武無能なるや。誠に賢士を得て与に舎を共にし、以って孤の恥を雪がんことは、孤の願ひなり。貴洋可なる者を視せ。身之に事ふることを得ん。」と。
貴洋曰はく、 「座間の君に千金を以って涓人をして極上の人形妻を求めしむる者有り。光を五百金に買ひて返る。君怒る。涓人曰はく、『光すら且つ之を買ふ。況んや之價をや。妻今に至らん』と。期年ならずして、之價至る者三。今、出龍必ず有能を致さんと欲せば、先づ当職より始めよ。況んや貴洋よりも賢なる者、豈に千里を遠しとせんや。」と。
是に於いて出龍貴洋の為に改めて荷兰
城を築き、之を甘やかす。是に於いて火益々盛る。 出龍流涕す。
3 がん患者さん 2016/07/02(土) 21:01:58.52 ID:ynVFwfkOI
千葉に珍菲なる者有り。
珍、癖有り。笠被り布巻きて陶片諸人に撒き、瘡作りて喜ぶ。
諸人陶片集して底欠けたる壺と成す。珍の舎に陶片有り。即ち是底塞ぐこと能う。
諸人珍を晒す。
虎ノ門の唐澤是を見て曰く「当職開示の能有り。三十万金で諸人黙す。」と。
唐澤開示を以て事に当たるも、諸人又晒す。
4 がん患者さん 2016/07/02(土) 21:38:37.21 ID:H/zUqq5K0
尊師殿(唐澤貴洋)がまだ若くていらっしゃった時、弟の甲信殿(唐澤厚史)と一緒に舟で旅をしていたが、嵐によって(島に)打ち上げられ、船が壊れてしまった。始めの何日かは島に生えている植物や船に少し残っていたもの(=食料)を召し上がって飢えを凌がれていたが、三十三日目についに食料がすこしも島になくなってしまった。
尊師殿と甲信殿はしばらく海岸にお座りなされていたが、しばらくすると(尊師殿が)立ち上がって何歩か動き、大きな木の実の殻を持ち上げなさった。尊師殿は
「厚史、お別れだ」
などと一言二言おっしゃられるとすぐ甲信殿の頭に殻を勢いよく当てたので甲信殿はすっかり意識をなくしてしまった。尊師殿も病気になったように元気をなくされていたが、何時間かするとおそるおそる甲信殿の身体を殻を使っていくつかの大きなかたまりに分けなさったそうだ。
それから四日ほどして出龍殿(唐澤洋。尊師殿の父親)がいらっしゃり尊師殿は危うく死ぬところを助かったが、いったい、どのようにして生き残られたのだろうか。ある人の言うところによれば、尊師殿は甲信殿の肉を脚などから順々に召し上がられたそうだ。小西殿や至田殿がおっしゃるには
「京に帰って出龍殿などと話をしながら『生きるため、仕方なかった』と申していた」
などということだが、なんとも神仏を知らないかのような行いをしたことであるよ。
5 がん患者さん 2016/07/03(日) 06:56:55.62 ID:+3qAtD57I
鴨が出てくる出家の動機はやらないナリか?
6 がん患者さん 2016/07/03(日) 09:33:40.33 ID:/OIF8We8I
221 恒心綜合音楽事務所、古典になって死亡 2016/02/05(金) 23:50:28 ID:JcBRcAa.0
時は平成ー。当時恒心界隈の最大権力を誇り数多の実績もお待ちあそばせ、最上級教徒の称号を欲しいままに名乗り給うたのはもちろん我らが御堂関白藤原太眉(ふじわらのふとまゆ)なり。
芸弁(げいのべん)の突如のりぃくに慌てふためき給うと思われた藤原太眉であったが、そこは眉毛の如く動かずしてなむ妙案を考え給うけり。
早速すかいぷ会議で一般人(いっぱんのきみ)、虐殺初心(ぎゃくさつのしょしん)、けんまP(けんまのぴぃ)、月永皓瑛(つきながのこうえい)を招集せ給うと、
「芸弁、いとあはれなり。我にあだなす者にこの世の終わり見せるべきか。けんまにて我、直々に断罪せし」と提案せ給う。
そう申し上げなさるとD(でぃ)のぷりうすに乗りて一路芸弁宅へと向かう上級教徒御一向。その顔には普段の実績を背負ひし上級教徒の自信みなぎりけり。
しかし道中、あはれまさかの誤算。
芸弁のりぃくせしすかいぷ会議でのいと臭き馴れ合ひを知りて激しく怒りし下級教徒達二七八三名は「太眉、許すまじ」と各々火を焚きし棒を持ちて待ち伏せけり。
通りかかりしぷりうすを見るや否や一斉に車に火を放ちて、車内の上級教徒達を焼き討ちせし。
藤原太眉、「あはれ」との給ひて眉毛の一本も残さずして焼失し、無事全員死亡し給う。
藤原太眉、辞世の句。
「恒心を わが世とぞ思ふ 恒産の かけたることも なしと思へば」
訳:(恒心界隈は俺の世界だと思っている。何故かって?それは俺の恒産で生み出した作品や実績に欠けたところがない程完璧な物ばかりだからに決まってるだろ)
これを聞きて血統いと優れし太き者(37)は「教徒間の内げばいとおかし。当職はふぃりぷんにて療養せし用事ありてこれにてなり」との給うと親の金にて唐より南へと旅立ちなさる。
なお藤原太眉一派は最低最悪の悪いものたちとして名を残して後世まで語り継がれる模様なりけり。(恒心記)
7 がん患者さん 2016/07/07(木) 21:53:31.35 ID:feVTxdE30
哀れみの 救済なれば 真理なき世の習いでは わかるはずもなし
悟りなき 我が身のカルマを 思うなら激しい嵐も グルの祝福
破滅天の愛欲の罠を潜り抜け 神聖の門に至る喜び
落日のオウムの城も無常にて 真理のダルマを胸に刻まん
踏みつけた信仰の芽は 強くなり
奇跡の夜明けを 闇に現わす
次の世を思わぬ人の多ければ 神の慈愛も罪となるかな
神の法と人の法とのあつれきに 世の人々は恐れ戸惑う
積み続けた 功徳の光は 未来には心の闇を 吹き払うなり
救い主その空性を 現して カルマの果報を 人々ぞ知る
8 がん患者さん 2016/08/02(火) 16:39:27.60 ID:+dT4YUEv0
麻
10 がん患者さん 2016/10/14(金) 21:40:18.38 ID:t0CbAqGu0
詩詠みて許さるる事
今は昔、一橋を出でにし人の都の政をしたため行ふ間、弁護士のしどけくおはしましければ、「召しにやりて戒め奉らん」と申して、重く戒め参らせんとて召し奉るなりけり。
「率て参りたり」と人の申しければ、鞭を設けて、打つべき人設け奉りて、先に人二人引き張りて出で来たるを見れば、総身ゆゆしく肥え、いと手指太くておはします唐澤貴洋なり。
見るに、打じ参らせんこといとほしく覚えければ、何事かにつけてか許し奉らんと思ふに、しれものとのみこそ見えたまへば、得ず。
過ちどもを片はしより問ひ仕るに、ただ破可弁を高家にてのたまはしをりたまふ。
いかにしてこれを許し参らせんと思ひて、「あないみじき盗人におはするかな、歌は詠みたまはんや}と申せば、「●はい。」と仰せたまひければ、「さらばものせさせたまへ」と申されて、程もなく、御(震え声)にて打ち出だしたまふ。
生き死にの 洋(うみ)に生まれて ひとなるに むちをみるめぞ やさしかりける
と仰せければ、いみじうあはれと存じて、唐澤貴洋にておはしまするによりて誅せんとするを、感じ許し奉りて、不意の怒涛の太刀筋にて弑し奉りたれば、無事薨ぜられたまひけり。人はいかにも情けはあるべし。
なほ和蘭森要塞は間にあはぬとかや。
11 がん患者さん 2016/10/14(金) 23:58:49.90 ID:NoKxF2+f0
イイネ・
12 がん患者さん 2016/10/15(土) 00:03:40.93 ID:kCJCAOUE0
ローマの街には市民が自由に意見をやり取りできる掲示板が存在した。
ローマの人々は階層に関係なくそこで生活に有用な情報のやり取りをしていたのである。
その公共掲示板についてひとつ面白いエピソードがある。カラカラ帝の時代、ローマにはChinpheliusという男がいた。彼は掲示板で誹謗中傷を繰り返していたが真夜中に書き込んでいる所を見つかり捕らえられてしまったのだ
この一見珍妙なエピソードは捉えようによっては人類最古のネット炎上とも言え、ローマ帝国の市民が現代の我々とあまり変わらない生活をしていたということを示す貴重な逸話とも言える。
13 がん患者さん 2016/10/15(土) 00:19:59.62 ID:kCJCAOUE0
この古代の掲示板は集めた知識をいつでも閲覧出来るように粘土板に記され書き込めなくなると焼き上げた上で図書館に移されるという仕組みをとっていた。
これにより当時の人々も図書館に行けば以前に書かれた知識をいつでも利用することが可能であり、それどころか遥か古代の書き込み内容を現代にいる我々も知ることが出来るのである。ここで先程のChinpheliusがどのような内容を書き込んでいたか見てみよう
彼は妻のManpheliaや同じインスラ(現代で言うアパートやマンションのような共同住宅、なんと2000年前ながら5〜6階建ての物も多く存在した)に住む同年代の友人に対する文句を書き連ねていた
この現代とそう変わらない書き込みは2000年も前に存在した掲示板がいわゆるローマ帝国版Twitterと例えられるように市民の日常を記録する役割を果たしていたということを物語っている。
14 がん患者さん 2016/10/15(土) 00:22:01.22 ID:kCJCAOUE0
古代のローマには現代で言うところの弁護士のような制度も存在した。現代の弁護士との違いは裁判ではなく個人間の争いの仲裁をするというものだがその役割は重要な物であった。
先程のChinpheliusという男もこの、おそらく世界で最も古いであろう"炎上騒動"を解決するためにPakaveniusという弁護士を雇ったという記録が残っている。
依頼を受けたPakaveniusはまず図書館に赴き石板の書き込みから個人を特定してくれと言ったと伝えられている。
15 がん患者さん 2016/10/15(土) 00:25:53.58 ID:kCJCAOUE0
しかし当然粘土板には書き込み主の名前など無く、書き込んだ人物など分からない。Pakaveniusは図書館を去ることを余儀なくされた。その後もPakariniusはChinpheusを捕らえた者を逆に捕らえようとしたといったことを繰り返したなど当時の人々の日記から明らかになっている。
しかしこのようなことを繰り返すうちにローマ市民の怒りの矛先は次第にPakariniusにも向かうようになっていったのだ。
現代においても弁護士は評判が何より重要と言われることはしばしば見受けられるが古代でもそれは同じであった。評判の良い弁護士はより高い金額で仕事を請け負うことができ、またその逆も然りであった。
16 がん患者さん 2016/10/15(土) 00:27:43.96 ID:kCJCAOUE0
評判を悪くした弁護士は食べていけないという事実に気が付いた市民は街中の至るところにPakariniusの悪口を書いていくことになる。
この落書きは現在でもローマの遺跡の至るところで目にすることが出来るのでこれからローマへ旅行に行くという方は是非探してみてはいかがだろうか、そこからは古代ローマの住人の生き生きとした、今と変わらない人間らしい姿が手に取るように浮かんでくるであろう。
17 がん患者さん 2016/10/15(土) 04:37:54.53 ID:7+TA33ym0
黒田並みのツッコミですがラテン語では基本的にkは使いません
あとchはkの発音です
18 がん患者さん 2016/10/15(土) 04:52:20.72 ID:zlJF3Zoo0
輪廻転生が事実ならローマ時代の唐澤を見てみたいわ
やっぱり無能なのだろうか
19 がん患者さん 2016/10/15(土) 08:38:42.01 ID:m2UalRo40
>>18
ローマ時代の尊師ならもうすでに見つかってます
https://sonshi.xyz/index.php?curid=895
とりとり
20 がん患者さん 2016/10/21(金) 01:54:42.91 ID:QWKjLwnW0
本格的なラテン語で何か投稿されたらサンドイッチ詰まり過ぎて窒息死できそう